三日坊主を捲る日々

客観的に自分の思考を眺めた時、果たして何かが理解できるのでしょうか。気軽に何でも気に入ったもの、好きなこと、考えたことを留めていく場にしたい。

主役不在舞台なんて成立するのか、あるいは主人公の顕在〜まっすると上野勇希選手に今さら捧げるン年ぶりのはてブロ〜

誰でも自分自身の人生においては自分こそが主人公だ、なんてのはよく言われることですが

それとは別に、客観的に見て「主人公」に類される人間って確実に存在する。

 

じゃあその「主人公」は、何故に主人公なのだろうか? たぶん、主にそういうことを考えた話です。

 

基本的にプロレスのことまったく分からんし全私が感動しすぎただけだと思うので、「これは筆者の主観です」を前提にお読みください。

 

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きみは、『まっする』(読み:ひらがなまっする)を知っているか?

 

メジャーとマイナーのあいだ、スポーツとエンターテインメントのあいだを駆けるプロレスというジャンル(本当に?)において

その中でも明らかに異端の一端であることは疑うべきもない『まっする』という特殊な興行について完結に言い表すとするならば

かなりマイナーでかなりエンターテインメントに寄った芸術的プロレス、それが『まっする』だ。※諸説あります

 

私自身、偶発的にプロレスなどという未知のエンタメに触れることになって日も浅く、理解の及ばないことも多々ありつつ、

これは全員天才の所業だ、プロレスやってるからって誰にでもできるパフォーマンスじゃあない、ということは見ていて確かに感じる。

 

『まっする』は、DDTプロレス所属レスラーを中心に実施されるスピンオフ的興行で

約半年に1度周期開催のシリーズ作として、『まっする6』まであらゆる意味不明、もといアヴァンギャルドなストーリーとパフォーマンスを展開してきた。

特に『まっする2』以降は「2.9次元ミュージカル」と称し、擬人化したプロレス必殺技の神々と、反則技凶器の代表格ことパイプ椅子の化身たちというキャラクター設定(公式薄い本もあるよ)をベースに、演者のプロレスラーたちがオリジナル曲を歌い踊る。

もうこれだけで、たぶんプロレスラーがやることの範疇を超えすぎてる。

 

そして都度、毎回違ったあんな手法やこんな手法で世相や時事ネタを巧みに取り入れ、試合が組まれる「興行」という形式をギリギリ保ちつつ、プロレスをしたりプロレス以外をしたりして闘っていく、という塩梅である。

とにかく情報過多の極みなのでもう気になったら観てくれとしか言いようがないのだが、それでも最終的には物語がクライマックス、否「メインイベント」に終結していく。

あくまで本質はプロレス興行であり、そこにオリジナルキャラクターと各種エンタメつまみ食い要素やギリギリのオマージュなんかをふんだんに盛り込んで好き放題膨らませて「メインイベント」までの道のりを劇的に魅せてくれる、そういうタイプの舞台調プロレス興行、と言って良いと思う。たぶん。

 

とにかく、『まっする』という作品を語るにはあまりに力量不足ゆえに私の知識と語彙が全面的に追い付かないので、

百聞は一見に如かずということで、気になったらとりあえず騙されたと思って一度観て欲しい。*1

 

え?過去の作品がそう簡単に観られるわけないだろって?

ところがどっこい、サブスク型のオリジナル動画配信サイトで『まっする』過去作なんと全部観られます。月額制なので追加課金も不要。ありがた。

好奇心旺盛なおたくなら、呼吸するより簡単に900円くらい出せちゃうよね?

 

今、「私のいちばん好きなエンターテインメント」のひとつです。

 

 

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なおここから先の記述は『まっする6』のネタバレを過分に含むので、もしネタバレに故郷の村を焼かれた記憶をお持ちの未見の方は、ご面倒でもまず『まっする』シリーズは全部見てみることをオススメしたい。

もしこの作品に初めて触れるとしたら、予備知識なく6から単体で見るのはあまりに危険だ、ということは伝えておく。

最低でも、出演者の顔とリングネームと役名くらいは一致する状態が望ましい。

 

6のストーリーが直接前作とかかわっているという話ではないが、6は「出演者同士の関係値」が重要なキーポイントでもあり、「まっする」という興行の空気感やDDTレスラーの関係図が分かる人と分からない人では、おそらく解像度に大差が出てくる。

そんでもってたぶん、プロレスってそもそも、選手のキャラクターと関係値を知っているほど深みが出てくる。

そして本興行は、まさにその「深み」の象徴だ、というのが私の持論なのである。

 

とは言え、見るか見ないかいつ見るかなんて個人の自由なので貴方に任せて、引き続き話を進めたい。

 

 

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さて、前置きが長くなったが、主人公の話に戻ろう。

 

 

今なお完全な終息の兆しを見せず、エンタメ業界を混乱せしめるコロナくんとの付き合いも2年を過ぎようとしていた2022年3月29日に、『まっする6』は初日の幕開けを前にしてとんでもないリリースを出してきた。

 

 

『まっする』出演者の要といって過言ではない、擬人化した必殺技の神「必殺技男子」(読み:フィニッシュだんし)5名のうちのひとりである、

”高久辛飛光”(読み:たかくからとびみつ)役の上野勇希選手*2が、発熱に伴い欠場するというのだ。

 

あぁん、俺たちいつでも必殺技乱発だろ!?!?

普通のプロレス興行なら欠場に伴って直前のカード変更や代替選手の参戦もあり得る、でも『まっする』って舞台だぜ!??

そもそも事前にカードとか出るもんじゃないし、まず舞台の演者ってすぐ代替できないよな、てか当日だよな!!?

え、でも興行自体は決行するの、正気!?!? 何どうやって!!?!!!?

 

おたくの脳内でこれだけ大混乱だったのだから、演者のみなさん(まぁ主要メンバーほぼプロレスラーですが)や現場の心中たるや、正直どれだけ推し量っても量りきれない。

開演前のおたくができることと言えば、とにかく会場に向かって席に着き、幕が上がるのを待つことだけなのだ。

 

そして開演時間、『まっする』脚本演出のマッスル坂井氏がまず登場し、このように述べる(一部抜粋)。

 

(前日の)夜11時くらいに上野からLINEがきまして、ごめんなさいちょっと熱が上がってしまいました、と言うことで。

PCR検査の結果を受けて陰性ではあったんですけども、まぁいざ興行をやるとなった場合、じゃあどうするかと。

これが今回のひらがなまっする6の台本です。えー実は、上野はですね、主役でした。

だから、まぁこれから台本を書き換えるとか、そういうことをするのもおかしいなというか。

 

おーーーーーっと!?!?

まさかの上野主役パターン!!!!

 

……主役いないのに舞台やる!!?!!?いよいよ何???!!

 

主役なんで、上野勇希は、上野勇希として、えーー代役を立てて、このままひらがなまっする6はやろうと思います。

代役選び、非常に難航いたしましたが、つい先ほど代役のほう、決定いたしました。

えー発表します、「透明人間」です!

 

この決断が一般のステージにおいてまず有り得ない打開策だというのは、これはもう誰の目から見ても明らかだろう。

普通に考えて、主役が舞台に立てなくなったらもう上演は不可能、公演中止の後日払い戻しだ。

だがしかしプロレスであるならば、主役が現場にいなくともそこにいるかのように、誰も見たことのないそのストーリーを全うできる、というのか。

 

きっとみなさんにはこのリングで、上野が闘う姿、歌う姿、踊る姿、見えるんじゃないかって、思って信じてます。

 

 

『まっする』をご覧になったことのある方なら分かる「お約束」として、この物語は毎度

竹下幸之介選手演じる”思切投太郎”(よみ:おもいきりなげたろう)と、”高久辛飛光”こと上野選手との二人の掛け合いから始まる。

それを知っている観客は全員身構えたと思う、そして…

当然ながら、透明人間は姿が見えないのみならず、その声も我々には届かない。

かくして、投太郎が虚空と「お約束」の芝居を始める激ヤバ空間がのっけから展開されたのだが、

しかしそれが「お約束」のやりとりであるからこそ、悔しいかな我々にも投太郎の視線の先に飛光が見えるのだ。

仮にこの日が全くの『まっする』シリーズ初日であったならば成立し得ない状況だが、ここまで重ねてきた「お約束」の経験値が、さっそく不在の上野を存在させる装置として機能していた。

「あ、上野さん、いるわ」と認めざるを得なかった。

 

ちなみに、竹下選手と上野選手は高校の同級生で、高校時代に若きエースとしてDDTでデビューした竹下選手のプロレスを見て、上野選手もまたプロレスラーを志すようになりDDTに入門しており、

現在は「The 37 KAMIINA」(よみ:サウナカミーナ)という「サウナでプロレスを熱くする」ユニットでともに活動する、関係値をすすって活力を得る方面のおたくに与えると卒倒しかねないレベルにエモい関係だったりする。

どうでもいいが、サウナカミーナの5人を家族構成になぞらえると、竹下さんがパパで上野さんがママらしい。パパママ一番すぎて涙止まらんて。

そして、この『まっする6』開催の半月ほど前に竹下は長期のアメリカ遠征を公言しており、これが渡米前ラストの「まっする」出演にもなることが決まっていた。

 

そんなタイミングで開催された『まっする6』は、DDT旗揚げ25周年、まっする(ひらがなまっする)旗揚げちょうど2周年、そしてまっするの前身である旗揚げマッスル(カタカナマッスル)ちょうど18周年、となる2022年に「メモリアルイヤーなので今年は史上最大規模のトーナメントでも開催しよう!」となった結果、

マルチバースの門戸が開き、普段は交わることのないそれぞれの登場人物<キャラクター>たちが一同に介する1DAYトーナメントが実施される、という基本ストーリーである。

ざっくり言うと、ひとりのレスラーが役名違いで複数エントリーしており、前半はとにかく大量の試合があの手この手で進められていく、という感じ。

本作に特有の特徴として、このマルチバースという設定を持ち込むことで、これまでの『まっする』2.9次元ミュージカルシリーズでは各レスラーはあくまで「役」としてリングに上がっていたものが、今回は「自分自身」としてそこに登場する余地が出ている、という点がある。

 

なんやかんやの部分は本編をご覧いただくとして、本当になんやかんやあって途中で47試合のトーナメント進行は放棄され、ハーフタイムショーで必殺技男子がパフォーマンスをするシーンとなる。*3

そこで現実世界とリンクして、竹下演じる投太郎のアメリカ遠征のため、必殺技男子が無期限活動休止となることが告げられる。

 

涙ながらの新曲披露、僕たちはこの5人で必殺技男子です、会場中が名残惜しみつつも温かい雰囲気に包まれての5名(なおうち1名は透明)がリングから去っていく…と思いきや

 

「飛光…いや、勇希。ちょっと戻ってきて。」と、”野球棒振正”(よみ:ばっとふりまさ)もとい勝俣瞬馬選手が、上野(役の透明人間)を呼び止める。

前述のとおり、上野選手はサウナカミーナという5人組ユニットに所属しているが、勝俣選手もそのメンバーのひとりであり、また必殺技男子としても竹下・上野・勝俣はともにステージに立ってきた。

竹下渡米後のDDTの未来を、サウナカミーナとしてともに担う決意のため、上野と準決勝で対峙し、そして勝利することを誓う。

上野(本物)がその場にいたって心に響くシーンに違いないのだが、如何せん上野(透明人間)は見えないため、勝俣のひとり芝居である。

対角線の上野(透明人間)へ語りかける真摯なその姿は、本日のメインイベントへの覚悟でもあったのだと思う。

 

あらかじめ決められたロマ…メインイベントだ。そりゃあ主役だ。完全に主役の台本だ。

そう、主役不在の『まっする6』初日のメインイベントは、勝俣vs上野(透明人間)のシングルマッチなのだ。

 

かくして実現した、準決勝にしてメインイベント。

リング上には勝俣と上野ふたりだけのシングルマッチ。その場にいる全員が、勝俣と対峙する上野の姿をそこに見ようとした。

響き渡る生実況解説が、目には見えない上野の動きを、表情さえも細かに言葉に乗せて、上野をそこに存在させた。

 

「不在」そのものが、強烈な舞台装置として働き、上野勇希にセンタースポットを当てるこの物語をこの上なく輝かせた。

北沢タウンホールの中心で、この瞬間、そこにいない上野さんは最高に「主人公」だった。

 

もちろん、元からそういう台本ではある。主役は上野、それは開始時点で脚本家が明言したとおりだ。

この物語は、誰がトーナメントで優勝するかを主題としない。上野が優勝してセンターに立ってハッピーエンド、などという陳腐な筋書きではない。

上野と、上野をとりまく周囲とがプロレスを通じて語る「人間模様」にフォーカスすること、それこそが上野勇希を「主役」と定義する意味なのだ。

 

しかもその当人が欠場したことでこそ、「主役」としてのプロレスラー・上野勇希が「そこに存在する」空気はあまりにも際立ってしまった。

特に主役という立場故に、例えその場にいなくとも「ストーリー」と「人間模様」がその存在感を支え、そこにあるべき輪郭が外堀から描き出されてくるのだ。

欠場、という台本には決して想定されない偶発的な不運によって、奇しくも筋書き以上に上野自身が「主人公」であることを提示されているような、そんな感覚だった。

 

もちろんこれは、全ての舞台において起こりうることなどではない。

元来、上野勇希というプロレスラーが持つ唯一無二の「ストーリー」と、マルチバースという『まっする6』に特有の設定およびストーリー、そしてずっとその背中を追い続けてきた竹下が日本を離れるというタイミングが絶妙にリンクし、勝俣選手がこの状況で成し得る最大限の解釈と表出を体現することで、何重にも奇跡的に、このメインイベントは実現したと言える。

その意味では、他のあらゆる舞台はもとより、『まっする』の他のシリーズであっても、ここまでの状況合致は為し得なかったと思う。

 

だからこそ、2022年3月29日に上野勇希選手が舞台に上がれなかった、という事実は

どうしようもなく、運命に「物語たれ」と彼が囁かれた結果なのだと、そう思わざるを得ない。

人生に物語が生まれる、我々の想定を超えて人生そのものが奇跡を紡ぐ。

彼の積み上げてきた努力や経験、彼を取り巻く環境、立ち位置、あらゆるピースがこの「奇跡的な一点」のためにあったのだと思えるような瞬間に集束するような感覚。

そういうシチュエーションを引き寄せたことこそが、上野さんが今ここで「主人公」なのだよなぁ、と思わせる要因だった。

彼の、彼らの努力と実績を無駄にしないために因果が寄ってきている、と言わざるを得ない、まさに圧巻のリングだった。

『まっする6』は上野勇希を主役として用意されたひとつの物語であり、またこの舞台にかかわり、或いは目撃した人たちの人生においても、上野勇希を「主人公」に据えた物語の一場面ともなったのではないだろうか。

 

選手そのものが持っているストーリーと技術、パフォーマンス力がかけあわされば、仮に本人がその場にいなくともいちばん大切な闘いが、イベントが成立して観客とエモーションを共有できる…

なんだよそれ、そんなのプロレスにしかできねぇよ!!!プロレスってあまりに「エンターテインメント」として唯一無二の可能性を持ったジャンルすぎる。

そしてその可能性に挑戦しつづける『まっする』と出会えたこと、本当に人生は面白い。

 

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さて、ここで残念なお知らせですが、『まっする』シリーズは今秋開催の『まっする7』を以てシリーズラストとなることが発表されました。

なお開催は、このやばい文章を書き終えた2022年9月7日からの3日間です。

私の筆が遅すぎるばかりに「あの舞台 気になる頃には 千秋楽」現象をお届けしてしまっていたら申し訳ない。

見て思うところはすぐ言葉にしろよと散々自分に言い聞かせてはいるのですが、なかなかアウトプットは不得手です。

でもせめて、7を見る前にこれを書き上げないとたぶんまた感情がややこしくなってしまうのだろうなと。

世の中にはこういう表現の形があって、そこに確かに「主人公」がいたのだということを、やはり自分の言葉で書き留めておきたかったのです。

 

これを読んで、『まっする』という世界やDDTプロレスの選手たちについて、ほんの少しでも興味を持ってもらえたら本望です。

 

もう生の必殺技男子やパイプ椅子男子たちに会える機会はないかもしれないし、次のストーリーはまた全く別の形になるのかもしれない、そう思うと今から淋しさも募りますが、さよならは言わないよ。

 

 

最後に、ご本人の元までこの支離滅裂な文章が届くこともないでしょうが

坂井さん、読んでくださっていますか?

どうかこれからも、プロレスが持つ新しい表現の可能性を世に提示していってください。

マッスル坂井が作り出す次の「プロレス」を、心から楽しみに待っています。

*1:ちなみに公式noteもある。こんな素人おたくの適当妄言より1000倍興味深い記述が並んでいるので一読あれ。https://note.com/hiraganamuscle

*2:2022年10月期、上野さんはtvk『信長未満-転生光秀が倒せない-』およびABEMA『覆面D』にレギュラー出演が発表されています。え?売れっ子若手俳優??ここからひとりでもまっするに辿り着いてくれたら、私はとても嬉しいです。

*3:6ではないですが、パフォーマンス動画あります「FIGHT FOR PRIDE」 歌:必殺技男子 - YouTube