三日坊主を捲る日々

客観的に自分の思考を眺めた時、果たして何かが理解できるのでしょうか。気軽に何でも気に入ったもの、好きなこと、考えたことを留めていく場にしたい。

0428『カラフト伯父さん』

『カラフト伯父さん』@グローブ座 / 0428

 
ご縁があって、伊野尾慧くんの初主演舞台を観劇させていただきました。初めてのグローブ座、まずは純粋に楽しかったです。生の芝居を久々に観て、思うところもいくつかあったので、忘れてしまわぬうちにつらつらと書き留めておこうと思います。ちなみに、私は伊野尾担ではありません。なんならJUMP担でもありません。ということで、以下の内容はバリバリにネタバレを含む個人的感想です。
 
 
 
 
 
 
 
座席はB席の最上手だったので、残念ながら舞台上手の1/3程度が死角になってしまったところに少しの悔いは残りますが、それでも久々に観劇した作品がこれで良かった、と思える2時間でした。(私の我が儘を快く聞き入れて観劇の機会を与えてくれたチケット主の友人には感謝しかない!ありがとう!)
 
まず明るい場内にコテコテ関西ノリのラジオ番組がいつの間にか流れ始め、舞台奥の扉を開けて軽トラ(なのか?あれは)がゆっくり入ってきた、と思ったら伊野尾さん扮する徹くんが運転席から登場してくるシーンにはのっけから痺れました。だって、すぐそこの、舞台上で、伊野尾さんが、運転、してる!! みたいな。興奮しかないですよね、ええ。しかも3階席から見下ろすと、完全に伊野尾さんのアラウンドビューモニター状態な訳ですよ。神の視点を手に入れることが出来る。これはあくまで想像ですが、3階A列上手寄りは比較的良好な視界でマニアックな興奮を得られるお席です。
 
伊野尾さん可愛らしかったポイントとしては、松永玲子さん扮する元ストリッパー・仁義のジンにウツクしいと書いて仁美さんが時折打っ放す完全下ネタ攻撃に対する、思春期〜青年期の男の子特有の、でも純で愛らしいリアクションが本当に可愛らしくて嫌味っぽくなくて可愛らしくて可愛らしくて、伊野尾さんにこのリアクションをさせる演出は天才だと思いました。ただ、徹くんってすごくすごく悟郎さんのことを突き放す癖に、仁美さんに対してはわりと直ぐに打ち解けますよね。普通の流れで考えると、大嫌いな父親が突然連れてきたケバくて図々しい妊婦なんて口きいてもらえなさそうなのに。仁美さんという人間そのものには悪意も悪気も関係もないのだ、と早々に割り切ったのでしょうか。それとも、悟郎さんのことも本当は受け入れたいのだという気持ちの表れなのでしょうか。実の父親である悟郎さんもコミカルな動きをすることの多い人なので、仁美さんと冗談を交わして笑っている徹くんが彼の本来の姿なのでしょうね。可愛い。とにかくこの2人の絡みはあれもそれもどれもこれも可愛くて、伊野尾さんの伊野尾さんらしさを魅せてくれてありがとうございます! ファンはこういうの、好きだよ!!
 
そんな仁美さんとのシーンとは対照的に、父親である悟郎さんとの掛け合いは、クスッと笑える小ネタを挿みつつも終始ある種の緊張感と反発感に満ちていました。痛々しいくらいに受け入れてもらえない悟郎さんをみていると、何だか私まで徹くんに怒りそうでした。そういえば、徹くんが車内で寝ているときに悟郎さんが絡みにいくシーンでは、終演後友人に「徹くんは赤い面を表にして毛布を被っていたけれど、それをお父さんが使ったときには白い面を表にしていた」と指摘されました。私が観たときにはそこまで気がつかなかったのですが、そういう細かいところも親子の間にシンクロできないギクシャクしたものがあるという隠喩として働かせているんでしょうね。こういう演出に目ざとく気付ける観察眼を鍛えていきたいものです。ちなみに友人は「毛布にくるまる伊野尾くんめちゃめちゃ可愛かった〜♡」とも言っていました。この場を借りて改めて、激しく同意しておきます。イノオサン・トテモ・カワイイ。
 
そこから平行線を辿っていた徹くんと悟郎さんの心がぶつかるシーンである、トラックの荷台での親子のクライマックスは、上から観ると本当に綺麗でした。徹くんが悟郎さんに掴み掛かってから2人で荷台の上に並んでうずくまるのですが、その姿勢が同じなんです。今まで何をやっても噛み合なかった彼等の心が通いつつあるということがビジュアルにあらわれていました。あ、同じ方向を向いた、みたいな。
泣ける泣けると前評判で聞いてはいたのですが、クライマックスで悟郎さんを演じる升毅さんが徹くんの「それから!」に促されるまま吐き出していく言葉はひとつひとつとても痛切で、その力強さと歯痒さのような感覚にいつの間にか涙している自分がいました。
そこからが徹くん、もとい伊野尾さんの最も重要な長台詞だったのですが、残念ながらここは私には一歩足りませんでした。 会場からはすすり泣きが絶えず聴こえてきたけれど、升さんの語っている間は自然と溢れてきていた涙が不思議とすっと止まり、冷静な自分がそこにいるような感覚を覚えて、我ながら白状な感情だと思いました。徹くんの独白と切実な願いを聞きながら「あぁ、これがキャリアある本物の役者と、舞台初主演を射止めたアイドルとの差なのか」などと思っていたのが事実です。これは何も悪い意味ではなく、伊野尾さんの表現は間違いなく現在の彼にとっては最高の出来に近いと評価してのこと。私にとってこの感覚は「演じる力」が確かに存在するのだという実感だったように思います。升さんの演技力、表現力、説得力は本当にとても素晴らしいものでした。彼は「舞台の上に立つ役者としての自分」の出し方に長けている。今回こんなに力のある俳優さんと伊野尾さんが共に舞台に立てたということが、とても嬉しく、そして有り難いことです。
あえて具体的な技術的な部分も指摘しておくと、たぶん発声と言い回しにやはり違いがあらわれてくるのだと思います。伊野尾さんに比べてサイドのおふたりの声は鋭くて劇場中に見事に通るし、メッセージの向かう先が明確な気がします。伊野尾さんはとても難しい役回りを精一杯演じていて素敵だったけれど、怒りを露にすることの多い徹くんを制御しきれない部分も確かにあったと思うのです。同じように、クライマックスも自分でコントロールしているというよりは、坂道を好き勝手に転がってしまっている徹くんの暴れ馬みたいな感情と言葉に必死でしがみついているような叫び方に近いのかなぁ、と。それで結果としてすごく制御されてしまっていたようにも感じるし、何なんだろう、「伊野尾さんが演技している」のではなく「徹くんが演技している」ようなややこしい印象がありました。(あくまで舞台や芝居には関わったことのない素人の感想なので、然るべき人がみた方がよほど的確だとは分かっています。何言ってんだこいつみたいな部分があれば、笑ってスルーきめてやってください。)
事実、徹くんが渾身の告白と叫びを終えて、それに対して悟郎さんが言葉を返した瞬間に、直前まで冷静に徹くんの言葉を受け止めていたのにまた一瞬にして涙が止まらなくなりました。升さんが台詞を発した瞬間くらいにもうダメだった、完全に涙腺に訴えかけてくるものがあった。私の完敗でした。そこの違いは、今はまだ埋められなくて当然だと思います。でも、本人がそうなりたいと想うなら、伊野尾さんの言葉と仕草と空気感にも、いつか説得力が身に付くようになるような経験をこれからも多く積めるといいな、と願っています。伊野尾さんはとても勘が鋭くて器用で、自分の役割を適切に把握出来る人だと思うから。その器用さがまだ少し邪魔をしてしまっている、そんなもどかしさの詰まった演技をみせてもらったように感じました。そして升さんは凄かった。舞台上で芝居をやる人の存在感は、本当に凄い。家に帰ってからも母親に「とりあえず升さんって凄いわ」と伝えるほど、想像以上の感動がありました。
また、設定上も演出上も不可欠な要素ではあるけれど、徹くんが関西弁話者だというのが徹くんという役の難しさを上げているんだろうな、とも。これが普通に標準語の役だったらまた少し喋りの入れ方が違っていたのかしら。でもこの言葉の違いは、関西に生きてきた徹くんと、東京に生きてきた悟郎さんの間に流れるみえない壁をきっと表現しているのだなぁ。実際に、ラストシーンでは悟郎さんは「ほな行こかー!」と関西弁でシーンを締め括っていたと記憶しています。素敵なカラフト伯父さんでした。素敵な升さんでした。
 
それにしても、伊野尾さんの台詞の間中会場のそこかしこからすすり泣きが聴こえるという状況自体が、舞台観劇に慣れていない私にとっては非常に新鮮なものでした。皆がその場に居合わせて、今まさに紡ぎ出されているひとつの物語を目撃している。この「ライブ感」みたいな空気がとにかく堪らなかった。だって、そこにいる演者にも私たちのリアクションが伝わっているんでしょう!? すごくないですか!? こう、双方向感というか、舞台上での芝居というのは受け手に対して最高に訴えかけてくる表現なのだと再確認しましたね。
 
ここまで書いて気付いたのですが、3階後列という条件で観劇した私の感想は圧倒的に演者の「声・音・台詞」という聴覚に基づいたものになっています。この作品を観た多くの方が「伊野尾くんのあんな表情は初めてみた」という感想を抱くようですが、そういえば私は視力の悪さも禍いして殆ど表情の演技はみることが出来ませんでした。でも皆が口を揃えてそう言うのですから、きっと今までのアイドル・伊野尾慧の中からは引き出されることのなかった良い表情をしていたのだろうと思います。今回の舞台は、伊野尾さんの飛躍の大きな第一歩になっていると思います、確実に。まだまだ幕も開けたばかりの作品ですので、出演者3人で千秋楽までこの作品をより良いものに育てていってください。
 
最後のカテコ挨拶ではいつもの伊野尾さん(でありながら堂々とした座長としての伊野尾さん)がそこにいて、2時間徹くんとしてそこにいた青年が、確かに私たちの知っているHey!Say!JUMPの伊野尾さんだったのだという事実を再認識したら何だか泣けました。一応デビューからずっと見守ってきたグループの適当ポジションの子が、こんなに素敵な3人芝居で初めての経験をさせてもらっている。ありがとう、伊野尾さん!ありがとう、世界!! あと、最後のはけるところが見切れて全く見えなかったのはとても悲しかった。笑
 
 
そして長くなりましたが、最後に内容の話。
 
実際にこの目で観るまでは事前知識はあまり入れないようにしておこう、と警戒しながら過ごしていたので、公式のあらすじさえ先ほど初めて読みました。検索かけて知ったのですが、この脚本は2005年に岡田義徳さん主演で初演されていたものなんですね。なるほど、だから“10年前”だったのか。この情報は知っておいた方が、年齢の計算でこんがらがることなく観られたかもしれません。まぁ、2015年に上演するからといってこれを”20年前”に変更したら、徹くんがもう完全なるオッサンになってしまうし、悟郎さんの人生もやり直しのききにくい年齢になってしまいますわ(笑)
 
あと、Twitterで『銀河鉄道の夜』と『永訣の朝』を読んでいるといいかも、とおっしゃっていた方がいたのでそこは少し意識してみたのですが、どちらにせよ少し齧った程度では明快には分かりづらいネタなのかな……という印象でした。ごめん、長くて『銀河鉄道の夜』は読めなかった。悟郎さんの中にも徹くんの中にも、そしてお母さんの中にも、宮沢賢治という作家と作品の精神が意識されているのだろうなというぐらいのことしか分かりませんでした。この物語の中に”宮沢賢治”というキーワードが何故必要だったのか、という疑問がぐるぐるしています。分からない。分からない……。伏線として使うでもないようで、スパイスとして効かせるでもないようで、突然「カムパネルラー!」とか叫ばれてビビっちゃう観客の方が多いのではないのでしょうか? こう感じているのは私だけ? 個人的に宮沢賢治という作家のファンタジー性が好きなので、何なんだよこの脚本!!なんか色々説明不足だし構成が美しくないし意味わかんねぇよ!!!くらいの気持ちで観ていました。実は何が言いたいのかもわからなかったし、堂々廻りの噛み合なさや歯痒さが力技で押し切られていたようにも思えて、私には受け止めきれないメッセージでした。ネットの世界だから言いたいこと言ったぞ。
 
作品の解釈や感じ方は人それぞれなので、これから観劇する方の感想や見方を沢山知りたいですね。私はとりあえずバーッと書きなぐったので満足です。絶対にもっと書きたかったことを後で思い出すけれど、もう知らない。面倒だからこれ以上は書かない!
皆さんも積極的に長々と書いてください。舞台の感想というのは、長々と書いて他人の目が届く範囲に放り投げておく価値があるものです。私はそれを読みたいです。
 
 
それにしても、5100文字超えとかウケる。大学の課題かよって勢いで書いてしまった……