三日坊主を捲る日々

客観的に自分の思考を眺めた時、果たして何かが理解できるのでしょうか。気軽に何でも気に入ったもの、好きなこと、考えたことを留めていく場にしたい。

主役不在舞台なんて成立するのか、あるいは主人公の顕在〜まっすると上野勇希選手に今さら捧げるン年ぶりのはてブロ〜

誰でも自分自身の人生においては自分こそが主人公だ、なんてのはよく言われることですが

それとは別に、客観的に見て「主人公」に類される人間って確実に存在する。

 

じゃあその「主人公」は、何故に主人公なのだろうか? たぶん、主にそういうことを考えた話です。

 

基本的にプロレスのことまったく分からんし全私が感動しすぎただけだと思うので、「これは筆者の主観です」を前提にお読みください。

 

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きみは、『まっする』(読み:ひらがなまっする)を知っているか?

 

メジャーとマイナーのあいだ、スポーツとエンターテインメントのあいだを駆けるプロレスというジャンル(本当に?)において

その中でも明らかに異端の一端であることは疑うべきもない『まっする』という特殊な興行について完結に言い表すとするならば

かなりマイナーでかなりエンターテインメントに寄った芸術的プロレス、それが『まっする』だ。※諸説あります

 

私自身、偶発的にプロレスなどという未知のエンタメに触れることになって日も浅く、理解の及ばないことも多々ありつつ、

これは全員天才の所業だ、プロレスやってるからって誰にでもできるパフォーマンスじゃあない、ということは見ていて確かに感じる。

 

『まっする』は、DDTプロレス所属レスラーを中心に実施されるスピンオフ的興行で

約半年に1度周期開催のシリーズ作として、『まっする6』まであらゆる意味不明、もといアヴァンギャルドなストーリーとパフォーマンスを展開してきた。

特に『まっする2』以降は「2.9次元ミュージカル」と称し、擬人化したプロレス必殺技の神々と、反則技凶器の代表格ことパイプ椅子の化身たちというキャラクター設定(公式薄い本もあるよ)をベースに、演者のプロレスラーたちがオリジナル曲を歌い踊る。

もうこれだけで、たぶんプロレスラーがやることの範疇を超えすぎてる。

 

そして都度、毎回違ったあんな手法やこんな手法で世相や時事ネタを巧みに取り入れ、試合が組まれる「興行」という形式をギリギリ保ちつつ、プロレスをしたりプロレス以外をしたりして闘っていく、という塩梅である。

とにかく情報過多の極みなのでもう気になったら観てくれとしか言いようがないのだが、それでも最終的には物語がクライマックス、否「メインイベント」に終結していく。

あくまで本質はプロレス興行であり、そこにオリジナルキャラクターと各種エンタメつまみ食い要素やギリギリのオマージュなんかをふんだんに盛り込んで好き放題膨らませて「メインイベント」までの道のりを劇的に魅せてくれる、そういうタイプの舞台調プロレス興行、と言って良いと思う。たぶん。

 

とにかく、『まっする』という作品を語るにはあまりに力量不足ゆえに私の知識と語彙が全面的に追い付かないので、

百聞は一見に如かずということで、気になったらとりあえず騙されたと思って一度観て欲しい。*1

 

え?過去の作品がそう簡単に観られるわけないだろって?

ところがどっこい、サブスク型のオリジナル動画配信サイトで『まっする』過去作なんと全部観られます。月額制なので追加課金も不要。ありがた。

好奇心旺盛なおたくなら、呼吸するより簡単に900円くらい出せちゃうよね?

 

今、「私のいちばん好きなエンターテインメント」のひとつです。

 

 

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なおここから先の記述は『まっする6』のネタバレを過分に含むので、もしネタバレに故郷の村を焼かれた記憶をお持ちの未見の方は、ご面倒でもまず『まっする』シリーズは全部見てみることをオススメしたい。

もしこの作品に初めて触れるとしたら、予備知識なく6から単体で見るのはあまりに危険だ、ということは伝えておく。

最低でも、出演者の顔とリングネームと役名くらいは一致する状態が望ましい。

 

6のストーリーが直接前作とかかわっているという話ではないが、6は「出演者同士の関係値」が重要なキーポイントでもあり、「まっする」という興行の空気感やDDTレスラーの関係図が分かる人と分からない人では、おそらく解像度に大差が出てくる。

そんでもってたぶん、プロレスってそもそも、選手のキャラクターと関係値を知っているほど深みが出てくる。

そして本興行は、まさにその「深み」の象徴だ、というのが私の持論なのである。

 

とは言え、見るか見ないかいつ見るかなんて個人の自由なので貴方に任せて、引き続き話を進めたい。

 

 

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さて、前置きが長くなったが、主人公の話に戻ろう。

 

 

今なお完全な終息の兆しを見せず、エンタメ業界を混乱せしめるコロナくんとの付き合いも2年を過ぎようとしていた2022年3月29日に、『まっする6』は初日の幕開けを前にしてとんでもないリリースを出してきた。

 

 

『まっする』出演者の要といって過言ではない、擬人化した必殺技の神「必殺技男子」(読み:フィニッシュだんし)5名のうちのひとりである、

”高久辛飛光”(読み:たかくからとびみつ)役の上野勇希選手*2が、発熱に伴い欠場するというのだ。

 

あぁん、俺たちいつでも必殺技乱発だろ!?!?

普通のプロレス興行なら欠場に伴って直前のカード変更や代替選手の参戦もあり得る、でも『まっする』って舞台だぜ!??

そもそも事前にカードとか出るもんじゃないし、まず舞台の演者ってすぐ代替できないよな、てか当日だよな!!?

え、でも興行自体は決行するの、正気!?!? 何どうやって!!?!!!?

 

おたくの脳内でこれだけ大混乱だったのだから、演者のみなさん(まぁ主要メンバーほぼプロレスラーですが)や現場の心中たるや、正直どれだけ推し量っても量りきれない。

開演前のおたくができることと言えば、とにかく会場に向かって席に着き、幕が上がるのを待つことだけなのだ。

 

そして開演時間、『まっする』脚本演出のマッスル坂井氏がまず登場し、このように述べる(一部抜粋)。

 

(前日の)夜11時くらいに上野からLINEがきまして、ごめんなさいちょっと熱が上がってしまいました、と言うことで。

PCR検査の結果を受けて陰性ではあったんですけども、まぁいざ興行をやるとなった場合、じゃあどうするかと。

これが今回のひらがなまっする6の台本です。えー実は、上野はですね、主役でした。

だから、まぁこれから台本を書き換えるとか、そういうことをするのもおかしいなというか。

 

おーーーーーっと!?!?

まさかの上野主役パターン!!!!

 

……主役いないのに舞台やる!!?!!?いよいよ何???!!

 

主役なんで、上野勇希は、上野勇希として、えーー代役を立てて、このままひらがなまっする6はやろうと思います。

代役選び、非常に難航いたしましたが、つい先ほど代役のほう、決定いたしました。

えー発表します、「透明人間」です!

 

この決断が一般のステージにおいてまず有り得ない打開策だというのは、これはもう誰の目から見ても明らかだろう。

普通に考えて、主役が舞台に立てなくなったらもう上演は不可能、公演中止の後日払い戻しだ。

だがしかしプロレスであるならば、主役が現場にいなくともそこにいるかのように、誰も見たことのないそのストーリーを全うできる、というのか。

 

きっとみなさんにはこのリングで、上野が闘う姿、歌う姿、踊る姿、見えるんじゃないかって、思って信じてます。

 

 

『まっする』をご覧になったことのある方なら分かる「お約束」として、この物語は毎度

竹下幸之介選手演じる”思切投太郎”(よみ:おもいきりなげたろう)と、”高久辛飛光”こと上野選手との二人の掛け合いから始まる。

それを知っている観客は全員身構えたと思う、そして…

当然ながら、透明人間は姿が見えないのみならず、その声も我々には届かない。

かくして、投太郎が虚空と「お約束」の芝居を始める激ヤバ空間がのっけから展開されたのだが、

しかしそれが「お約束」のやりとりであるからこそ、悔しいかな我々にも投太郎の視線の先に飛光が見えるのだ。

仮にこの日が全くの『まっする』シリーズ初日であったならば成立し得ない状況だが、ここまで重ねてきた「お約束」の経験値が、さっそく不在の上野を存在させる装置として機能していた。

「あ、上野さん、いるわ」と認めざるを得なかった。

 

ちなみに、竹下選手と上野選手は高校の同級生で、高校時代に若きエースとしてDDTでデビューした竹下選手のプロレスを見て、上野選手もまたプロレスラーを志すようになりDDTに入門しており、

現在は「The 37 KAMIINA」(よみ:サウナカミーナ)という「サウナでプロレスを熱くする」ユニットでともに活動する、関係値をすすって活力を得る方面のおたくに与えると卒倒しかねないレベルにエモい関係だったりする。

どうでもいいが、サウナカミーナの5人を家族構成になぞらえると、竹下さんがパパで上野さんがママらしい。パパママ一番すぎて涙止まらんて。

そして、この『まっする6』開催の半月ほど前に竹下は長期のアメリカ遠征を公言しており、これが渡米前ラストの「まっする」出演にもなることが決まっていた。

 

そんなタイミングで開催された『まっする6』は、DDT旗揚げ25周年、まっする(ひらがなまっする)旗揚げちょうど2周年、そしてまっするの前身である旗揚げマッスル(カタカナマッスル)ちょうど18周年、となる2022年に「メモリアルイヤーなので今年は史上最大規模のトーナメントでも開催しよう!」となった結果、

マルチバースの門戸が開き、普段は交わることのないそれぞれの登場人物<キャラクター>たちが一同に介する1DAYトーナメントが実施される、という基本ストーリーである。

ざっくり言うと、ひとりのレスラーが役名違いで複数エントリーしており、前半はとにかく大量の試合があの手この手で進められていく、という感じ。

本作に特有の特徴として、このマルチバースという設定を持ち込むことで、これまでの『まっする』2.9次元ミュージカルシリーズでは各レスラーはあくまで「役」としてリングに上がっていたものが、今回は「自分自身」としてそこに登場する余地が出ている、という点がある。

 

なんやかんやの部分は本編をご覧いただくとして、本当になんやかんやあって途中で47試合のトーナメント進行は放棄され、ハーフタイムショーで必殺技男子がパフォーマンスをするシーンとなる。*3

そこで現実世界とリンクして、竹下演じる投太郎のアメリカ遠征のため、必殺技男子が無期限活動休止となることが告げられる。

 

涙ながらの新曲披露、僕たちはこの5人で必殺技男子です、会場中が名残惜しみつつも温かい雰囲気に包まれての5名(なおうち1名は透明)がリングから去っていく…と思いきや

 

「飛光…いや、勇希。ちょっと戻ってきて。」と、”野球棒振正”(よみ:ばっとふりまさ)もとい勝俣瞬馬選手が、上野(役の透明人間)を呼び止める。

前述のとおり、上野選手はサウナカミーナという5人組ユニットに所属しているが、勝俣選手もそのメンバーのひとりであり、また必殺技男子としても竹下・上野・勝俣はともにステージに立ってきた。

竹下渡米後のDDTの未来を、サウナカミーナとしてともに担う決意のため、上野と準決勝で対峙し、そして勝利することを誓う。

上野(本物)がその場にいたって心に響くシーンに違いないのだが、如何せん上野(透明人間)は見えないため、勝俣のひとり芝居である。

対角線の上野(透明人間)へ語りかける真摯なその姿は、本日のメインイベントへの覚悟でもあったのだと思う。

 

あらかじめ決められたロマ…メインイベントだ。そりゃあ主役だ。完全に主役の台本だ。

そう、主役不在の『まっする6』初日のメインイベントは、勝俣vs上野(透明人間)のシングルマッチなのだ。

 

かくして実現した、準決勝にしてメインイベント。

リング上には勝俣と上野ふたりだけのシングルマッチ。その場にいる全員が、勝俣と対峙する上野の姿をそこに見ようとした。

響き渡る生実況解説が、目には見えない上野の動きを、表情さえも細かに言葉に乗せて、上野をそこに存在させた。

 

「不在」そのものが、強烈な舞台装置として働き、上野勇希にセンタースポットを当てるこの物語をこの上なく輝かせた。

北沢タウンホールの中心で、この瞬間、そこにいない上野さんは最高に「主人公」だった。

 

もちろん、元からそういう台本ではある。主役は上野、それは開始時点で脚本家が明言したとおりだ。

この物語は、誰がトーナメントで優勝するかを主題としない。上野が優勝してセンターに立ってハッピーエンド、などという陳腐な筋書きではない。

上野と、上野をとりまく周囲とがプロレスを通じて語る「人間模様」にフォーカスすること、それこそが上野勇希を「主役」と定義する意味なのだ。

 

しかもその当人が欠場したことでこそ、「主役」としてのプロレスラー・上野勇希が「そこに存在する」空気はあまりにも際立ってしまった。

特に主役という立場故に、例えその場にいなくとも「ストーリー」と「人間模様」がその存在感を支え、そこにあるべき輪郭が外堀から描き出されてくるのだ。

欠場、という台本には決して想定されない偶発的な不運によって、奇しくも筋書き以上に上野自身が「主人公」であることを提示されているような、そんな感覚だった。

 

もちろんこれは、全ての舞台において起こりうることなどではない。

元来、上野勇希というプロレスラーが持つ唯一無二の「ストーリー」と、マルチバースという『まっする6』に特有の設定およびストーリー、そしてずっとその背中を追い続けてきた竹下が日本を離れるというタイミングが絶妙にリンクし、勝俣選手がこの状況で成し得る最大限の解釈と表出を体現することで、何重にも奇跡的に、このメインイベントは実現したと言える。

その意味では、他のあらゆる舞台はもとより、『まっする』の他のシリーズであっても、ここまでの状況合致は為し得なかったと思う。

 

だからこそ、2022年3月29日に上野勇希選手が舞台に上がれなかった、という事実は

どうしようもなく、運命に「物語たれ」と彼が囁かれた結果なのだと、そう思わざるを得ない。

人生に物語が生まれる、我々の想定を超えて人生そのものが奇跡を紡ぐ。

彼の積み上げてきた努力や経験、彼を取り巻く環境、立ち位置、あらゆるピースがこの「奇跡的な一点」のためにあったのだと思えるような瞬間に集束するような感覚。

そういうシチュエーションを引き寄せたことこそが、上野さんが今ここで「主人公」なのだよなぁ、と思わせる要因だった。

彼の、彼らの努力と実績を無駄にしないために因果が寄ってきている、と言わざるを得ない、まさに圧巻のリングだった。

『まっする6』は上野勇希を主役として用意されたひとつの物語であり、またこの舞台にかかわり、或いは目撃した人たちの人生においても、上野勇希を「主人公」に据えた物語の一場面ともなったのではないだろうか。

 

選手そのものが持っているストーリーと技術、パフォーマンス力がかけあわされば、仮に本人がその場にいなくともいちばん大切な闘いが、イベントが成立して観客とエモーションを共有できる…

なんだよそれ、そんなのプロレスにしかできねぇよ!!!プロレスってあまりに「エンターテインメント」として唯一無二の可能性を持ったジャンルすぎる。

そしてその可能性に挑戦しつづける『まっする』と出会えたこと、本当に人生は面白い。

 

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さて、ここで残念なお知らせですが、『まっする』シリーズは今秋開催の『まっする7』を以てシリーズラストとなることが発表されました。

なお開催は、このやばい文章を書き終えた2022年9月7日からの3日間です。

私の筆が遅すぎるばかりに「あの舞台 気になる頃には 千秋楽」現象をお届けしてしまっていたら申し訳ない。

見て思うところはすぐ言葉にしろよと散々自分に言い聞かせてはいるのですが、なかなかアウトプットは不得手です。

でもせめて、7を見る前にこれを書き上げないとたぶんまた感情がややこしくなってしまうのだろうなと。

世の中にはこういう表現の形があって、そこに確かに「主人公」がいたのだということを、やはり自分の言葉で書き留めておきたかったのです。

 

これを読んで、『まっする』という世界やDDTプロレスの選手たちについて、ほんの少しでも興味を持ってもらえたら本望です。

 

もう生の必殺技男子やパイプ椅子男子たちに会える機会はないかもしれないし、次のストーリーはまた全く別の形になるのかもしれない、そう思うと今から淋しさも募りますが、さよならは言わないよ。

 

 

最後に、ご本人の元までこの支離滅裂な文章が届くこともないでしょうが

坂井さん、読んでくださっていますか?

どうかこれからも、プロレスが持つ新しい表現の可能性を世に提示していってください。

マッスル坂井が作り出す次の「プロレス」を、心から楽しみに待っています。

*1:ちなみに公式noteもある。こんな素人おたくの適当妄言より1000倍興味深い記述が並んでいるので一読あれ。https://note.com/hiraganamuscle

*2:2022年10月期、上野さんはtvk『信長未満-転生光秀が倒せない-』およびABEMA『覆面D』にレギュラー出演が発表されています。え?売れっ子若手俳優??ここからひとりでもまっするに辿り着いてくれたら、私はとても嬉しいです。

*3:6ではないですが、パフォーマンス動画あります「FIGHT FOR PRIDE」 歌:必殺技男子 - YouTube

Summer Paradise 2017《 風 is I ? 》の歌詞とこどもと風磨くんの想いを勝手にこねくり回す自己満足の話。

今から、相当乗り遅れたSummer Paradise 2017菊池風磨くんソロ公演《風 is I ?》の長ったらしい感想文を書きます。
気付けば勝利ソロ公演さえ終わり(いや毎日行ってたので忙しかったんですよね←)聡マリ公演が始まってしまった昨今、今更感が凄まじいのですが、3年目の今年こそ言葉にして残しておきたいと思ったので、風磨ソロオーラスの翌日からぽちぽち進めてやっと今日終わりました……母ちゃん、ボクついに書いたよふまソロの感想……*1
言葉と物語を大切にする風磨くんが好きなので、言葉の話と流れの話とこどもの話をします。こどもの話をします。*2
既にたくさんの考察が多くの方によってなされているので、私が言う事なんてもう何も無いとは思いつつ、個人の感想として、お暇な方はしばしお付き合いいただければ幸いです。
 
※基本的に、勝手に言葉を拾い上げて勝手に考察しているので、これが恣意的な情報の取捨選択とそれっぽい語り口で自己満のストーリーを生み出すメディアのやり方か…!くらいの気持ちで薄目で読んでください。まし。
 
 
 
 
 
まず、初っ端からの「僕は死んだ」設定。しかも、「10年前の今日」ということは、そういえば「今日」は風磨くんの命日なわけで。
何なの、ボクが死んだ日はハレなの!?と今にして思うけれど、そこは流石に運命的な偶然。そんな偶然を叩き出してしまうのも、風磨くんの先天的なエモさに起因する特殊能力なのかも……
それはさておき、まだまだやりたいことがいっぱいあったのに、若くして命を落としてしまった風磨少年の後悔たっぷりなモノローグから物語が始まる。(正直長かった、例年以上にモノローグが多かった、合間合間の語りがいちいち説明的である、いや理由があってしているのだろうと思うのでそこも含めて今年らしさかな。)
その後悔を無くすために、1日だけ、10年後の姿で「こちら側の世界」に生き返る風磨くん。何だよどんな1日が始まるんだよ! 予想斜め上のこの状況に客はもう必死でしがみついて風磨くんワールドの幕開け!!
 
 

『But…』

ってのっけから否定かよ〜〜〜!!But何なの〜〜〜!?
とぶっちゃけ思ったんですが、自分は「死」の向こう側にいるけれども、今日だけは仲間に会う為にここに存在しに来たよ、という宣言としての「But」なのかもしれません。
 
”Tonight 止まることなく刻み続けた秒針 巻き戻せたら”
 
もう、今回の設定を当てた瞬間、馴染みのこの歌詞が突然キラキラと輝き出したので、風磨くんは天才。むしろ今日のために書かれた歌詞なのかと思うくらい。
でもきっとそれは、風磨くんの中で以前からずっと温められていた気持ちが、確かに今年のステージにも、ストーリーにも反映されていることの証にも思えて。
 
”本当のあなたはどこ?”
”すぐ隣にいるのに こんなにも遠くて oh…why? もう触れられない?”

 

という歌詞と、ステージ中央の風磨くんから離れ出てはまた風磨くんの中に戻っていく人型の白い影を映し出すモニター映像との親和性も、ストーリーと見事に再融合するのが美しかった。
思えば今回の演出では、ステージ上の風磨くんと、映像の中の風磨くんが同時にそこに存在していて、所謂「客観視」的な視点で現実の風磨くんと非現実の風磨くんが交差するような演出・場面が目立っていた気も。
それがまさに”風 is I ?”という自己疑問を具現化しているのだろうな、と私は感じました。風磨くんは天才かよ。
 
 
『LOVE CHASE』
いや、格好良かった、これが大人になった風磨くん…!って改めて圧倒されるの、本当に美しい(号泣)
風磨くん大人になれたねぇ(号泣)マジ大人になれたねぇ(号泣)
(ここで中の人の語彙力は崩壊した)
 
 
『Tokyo Sinfonietta』
"It’s so beautiful 夢のような楽園 Just keep on dreaming 眠らない Brand new world”
 
の歌詞が、あぁ、これは風磨くんがみる1日限りの夢なんだきっと、と私の心を貫いた。そう、きっと今から始まる1日は、夢のような楽園なんだ。
 
“望むなら 掴めるから”
 
そう、これは、風磨くんが望んだ世界なんだ。(エモ〜〜〜!!!!!)
 
 
『fragile』

“花びらが風に吹かれ 命のように散っていく”

 

という冒頭の歌詞からもう、言葉は要らないよね?
 
“明日が見えなくても ただ唄うしかなくて”
 
“明日が見えなくても また歩き始めるから”
 
今回の設定が「1日限り」というものだったから、きっと風磨くん自身も「明日」だったり「未来」だったりというワードはとりわけ大切にしていたのは間違いないと思う。
というか、改めてTOKIO兄さんの楽曲は歌詞がエモい。そもそもエモい。長瀬智也とかいうおじさん、エモすぎないか?
ジャニーズ事務所にTOIKOというアーティストがいて、風磨くんがその楽曲をソロライブで選曲できるという最高の環境に感謝せざるを得ないよねもう…
 
 
『東京ドライブ』
きゃー!こどもーーっ!!今年もこどもがいるよーーっ!!♡♡
って感じで(中の人はこども贔屓です)、fragileとは打って変わった明るいチューンに乗せて、全力で本気でおふざけが入り始めて、あぁ風磨くんが楽しんでる、と思えるタイミング。とりあえず今年もこども使ってくれて本当にありがとう風磨くん。10年前の話を始めて、こどもの声からモノローグが始まった時点で「あ、今年もこども出るわ」という確信はあったけれど、いやぁ〜〜こども可愛い〜〜♡
こどもの最初の出番からライダースリーゼントでキメキメに茶目っ気全開出してくるあたり、ちゃんと「こども心」のままで大人になった風磨くんを暗喩しているようでもあった。こどもの存在異議を明確に持たせてくれる風磨くんの構成のしかたが大好きだし、ちゃんと意味があって風磨くんのソロライブの一員でいられるこどもたち、本当に幸せだと思う。
 
“君を迎えに行くよ ドライブはどうだい?”
 
は、この後の風磨と昔の仲間たちの再会を予感させるワクワクが詰まった言葉で(まぁとっくに冒頭からSixTONES全員出てるし紹介されてるけれども)、後半の海にドライブに行く流れとも綺麗に繋がってるの、本当にもう伏線の天才なのかな? 風磨くんは天才かな??
そして、実は
 
“多分僕ら信じた明日は この道の向こうだ”
 
“僕ら夢見てきた明日へ飛び出そう"
 
って、やっぱりこれも明日を唄う歌なんだよね、兄さん裏切らないぞ。
この曲のあとにジェシーのモノローグ→風磨からの電話、そして再会という流れなので、もしかしたらこの時点で風磨くんが唄う「明日」というのは、6人と一緒に過ごせる夢のような「今日」のことなのかもしれない、とも。そしたら、10年間見えなかった「明日」が現実のものとしてやってくる興奮と喜びが占めているのかな。
きっとそれは、「風磨がいなくなってから、ずっとなんとなく何かが抜け落ちてしまったような」日々を過ごしていた6人のほうにとっても「夢見てきた」1日になるのであろうことを予感して、またドキドキするよね!
 
ちなみにとんでもなく余談ですが、ジェシーが電話を取って椅子から立ち上がったタイミングで、急いで下手の小道具(ワイングラス、丸テーブル、椅子)を2往復して片付ける黒田くんがとんでもなく可愛い&忙しい!
彼、『東京ドライブ』終わり〜ジェシーが電話を取るまでの間にライダースからTシャツ半パン(膝が最高だったんだ…)に着替えて、ジェシーが電話している間に2往復で下段の小道具を袖に捌けさせて、『SHAKE』イントロにはもう下手上段から出てきて踊り始めるんだ、めちゃくちゃ忙しい! それでも出とちらないところが信頼感あつい! こどもたちの中では最高身長の最年少、中学2年生です!!
 
 
『SHAKE』
まずさぁ、ジェシーが電話を取って「え?後ろ?」って言ったら始まるイントロ、後ろから出てくる風磨くんと集まってくるみんなという流れが天才だろ? それで
 
“きょう会わない?ってキミの電話 ボクも今そう思っていた テレパシーみたいでウレしい”
 
っていう歌詞から始まる楽曲はズルいよズルすぎるよ〜〜〜!!! ウレしいよ~~~~!!!
こどももお兄も全員集合!で楽しすぎる幸せすぎるこれが全員揃うということ!!っていう最高の空間を演出しきっていて、やっぱり風磨くんは天才なんだよな!
こどもの頃の7人が揃ったときの一体感を、10年越しに大人のみんなが引き継げているようで、ここもちゃんと「こどもがいて初めて成立する演出」がここでも感じられて、これだからふまソロのこどもが私は大好きなんです。
ただ、昨年が衣装をちゃんと合わせて「誰が誰のこども時代役か」というのが一発で視認できるようになっていたのが、立ち位置とかでペアにはなっているけれど今年は明確ではなくて、だからこそ最後まで「誰が風磨くんなのか」っていう答えが出なかった。
昨年は川﨑くんがやっていた「風磨くん」が、誰だか分からなくなることでやっぱりここにも”風 is I ?”のメッセージが隠れている気がした。
 
(というか、川﨑くんついに風磨くん役卒業したよね……きっとまぁ裏で諸々の事情とか大人の都合とか1列目カースト変動とかあるんだけれど、風磨ソロに限っては川﨑くんが出ると「川﨑くん=風磨くん」の既存認識が無意識に働いてしまう可能性が高いから、観客の目に映るこどもたちのフラットさ、風磨くんの言葉を借りればプレーンさを担保するためにあえて今年は起用しなかった、という考え方は如何でしょうか。結果論に過ぎないけれど。)
 
 
『夢でいいから』
前曲の「楽しい!!」の雰囲気とは一転、一気に大人らしい雰囲気を纏う風磨くん。あ、やっぱりちゃんと大人だ、のターン。
この曲、前半はこどもも4人ステージに残って踊るのが、こどもらしさの余韻と、こどもから大人に成長する過程の美しさてあったり危うさにも繋がっているようで。たぶん単純に考えすぎなんだけれど、ここの選抜4人は今回のこども7人(中2/4人、中3/2人、高1/1人)のうち、年齢が若い中2の4人なのよ、そうなのよ…… 
こどもが一生懸命背伸びをして大人としてこの世に戻ってきたこの1日を満喫している(ようには実際は見えなかったけれど、黒田くんは大人っぽすぎるし織山くんはダンスがえっちすぎる)っていう設定上の概念が選抜に反映されている気がして、もう、天才性を勝手に受信しまくる次第でございます……
それが1番終わってこどももお兄も一旦捌けたタイミングで、大人としての自分がこなれたのかな、と感じたり。
 
 
『Tipsy Love』
これね〜〜〜可愛いよね! ほんっとに可愛かったし、大人になっても相変わらず一緒にいて何でもないような時間を共に過ごせる自然な雰囲気が堪らんかった! 綺麗なお姉さんもいいけれど、結局いつもの仲間だよね〜〜〜(ちなみに、お姉さんの顔が絶妙に見えないあのキャップの被り方も本当に絶妙だなと思った。何の話や。)
ただし、中の人は英語が壊滅的に出来ないのて歌詞から云々が全く言えません。笑えない〜〜でもおそらく観客の多くは英語ネイティヴではないと想定しているはずだし、ここは歌詞の意味や内容よりは空間全体や雰囲気を優先しているのでは?(英語が出来ない人の言い訳みたいだ)
 
 
『My life』
新曲、タイトルがSTAGE特典CDとしてフライング発表された段階では「ついに人生観とか語り始めちゃうのかな……」という印象でしたが、なんか歌詞がいちいち単純にえっちだったので逆にたまげた。どさくさで脱がせてんじゃねーかオイオイ。バカップルかよオイオイ。風磨くん最近えっちな気分とかなのかな?というたいそう失礼な感想を抱いた次第ですが、曲調とダンスがどストライクだったので結局風磨くんのソロ曲が大好きです。大人になったね……(設定ではなく現実として)
あと、この曲踊る松村北斗さんドえっちだったからみんなに見て欲しい。出来れば少クラでやって欲しい。まぁやるだろ!楽しみです。
 
 
『月の幻』
歌詞、めっちゃ、風磨くんそのものすぎて、なんというか、まずは唄ってくれてありがとう……
この曲は、風磨くんと風磨くんの対峙の時間だったように思える。きっとそこには風磨くんにしか分からない色々な想いがあって、彼自身が決して一言で片付けられるような一本道の人間じゃないことを示してくれているような。
 
“もしも僕らがあの時に 出会わなければ君は今頃 他の誰かとキスをして 抱き合うのだろう”
 
このステージの世界観そのものが壮大な「if」であって、「もしも」の積み重ねで出来上がった奇跡のような時間であること。
そして、風磨くんを、或いは他の出演者を、私たちが好きになっていなければ客席のひとりひとりが今、この空間に居るという出来事も起こらなかったかもしれなくて。そうすれば、ほんの少しだけれど、その空間は今とは違ったものになっていたはずで。
風磨くんを含め、ステージに立つ人間がしばしば口にする「ここにいるお客さんも含めて○○です」のスピリットも、きっとそこには流れているんじゃないかな、と。そう、数多の「if」を乗り越えて、私たちが今この時間を空間を共にしていることそれ自体が奇跡なんだよね。風磨くんがこのライブを通じて、10年越しに生き返って、伝えたかったことのひと欠片がこの歌詞に込められているような気がします。
 
 
『愛ing』
完全に味をしめたな!?としか言いようが無い(笑)
こういう、気に入ったことは何回でもリピートしちゃうとこ、好きよ。今年も最高のガールズユニットでした♡ 京本さんの脚、細すぎ。いや、細すぎ。あと松村北斗さんの二の腕が筋肉質。惚れるぜしかし!
 
 
初日にこのイントロがかかってこどもたちがお兄にローラーを持ってきた瞬間の率直な感想「最近のジャニーズ事務所、どんだけローラー流行ってるんですか!!?!?!!?!??!?!」
まさか風磨くんがここでローラーを使ってくるとは本当に思わなくて、本気かよ……という気持ちでした。本気で普通に滑れない人たちだった。危なっかしくて、全力で、冷や冷やした。好きな人がステージで危なっかしくローラー滑ってるところを見守るのは、最早私の宿命なのでしょうか…(HiHi Jetの髙橋優斗くんをよろしくお願いいたします!!!!!!!!!!!)
あと、よぼよぼのお兄たちを尻目に颯爽とローラーでステージを駆け抜ける安嶋くん可愛すぎた。ね。あじまだよ! 今回、ローラーするためにあじ呼ばれたのかな。公演期間中にいっぱいお兄たちにいじってもらって、あじまだよ!を連呼してたからお名前も覚えてもらいやすくて、私嬉しいです! 見せ場ありがとう!こどもの勝利!!
 
 
『SUMMARY』
今年はこども脱がなかったなーーーーーーーーーー(そこ)
昨年、マジでこどもを脱がせたのは天才中の天才だったので、やっぱり夏のTDCにはSUMMARYがなくっちゃね(号泣) 今年もSUMMARY踊るこどもを見られて嬉しかったです……
 
 
《コント》
はい、こどもの先輩かみさま、天才。天才Geneus。
夜公演しか入らなかったらマジでファミリーコントにしか当たれなかったので、風磨くんそこんとこだけは考慮していただけたら嬉しかったです。(そこ?)
 
 
『太陽の世界』
好きーーーーーーーっ!!!!!!!今年はこれかーーーーーーーっ!!!!!!!!!!
テンションぶち上げかつファンサ曲としても秀逸ながら、
 
”切なさも優しさも全部胸にあるから 知らず知らずに積み重ねた時を彩る”
 
”動き出した時間の片隅に 探し当てた夢の欠片と 情熱の中にある今を信じて”
 
“上昇気流ハートで真実をつかまえて 強くなれる 離したくない瞬間だけ 焼き付ける様に”
 
とまぁ、コント挟んだ中盤戦に至って「明日」はいつの間にか「今」になり「瞬間」となってたたみ掛けてくるこの感じ! 確実に時間は過ぎ去っている切なさをふと思い出させてくるようなフレーズを、明るいファンサ曲に忍ばせてくるところがホントにくい。今この瞬間を全力で楽しむしかないっていう気概が見える。これはむしろ脅迫されてるレベル。歌詞よく読んじゃうと途端にエモみが370%増し。ずるい。
 
 
『Hello』
もう何も言えない。風磨くんの曲ってば、全部が風磨くんの世界なんだ。
 
“今日が誰より素晴らしく思える 何もかも上手くいく Lucky Daaaaay !”
 
”昨日とは見違えた世界 Hey! Hello, Everybody !”
 
“君に会える それだけでこんなにも輝いて 「Hello」”
 
この眩さに出会うために、私たちは出会ったし、今ここにこうしている、そういうことを教えてくれる。(控えめに言っても完全に限界ヲタク)
(ただし、このとき中の人は一心不乱にこどもを見ていました)
 
 
《MC》
今回のMCというかゲームコーナーはエンターテインメント性が凄まじかった。風磨くんが楽しくて、ストも楽しくて、客も楽しくて、渉ちゃんに「可愛い〜〜♡」って声揃えて言えて、みんなで楽しめて、こういう「みんな」感を演出するの風磨くん本当に上手いよな。感心しかしない。渉ちゃんはいつまで可愛いでいてくれるのかな〜〜♡ お兄ちゃんたち完全にメロメロだっだね〜〜〜♡♡
 
 
『First Love』
いや、マジか。
そう来たか。
そういうことするか。
3年目にして、そこ突いてくるか。
 
試みとしても新鮮で、選曲としても新鮮で、風磨くんの「いつでも前に進んで、新しい景色をみたい」みたいな性格が反映されているようで。
そんな新しさとは裏腹に、曲自体はしっとり聴かせてくるバラードで、菊池風磨という人間のポテンシャルの高さが滲み出てた。スローテンポのバラードって人を惹き付けるのが一番難しいんだよ……
 
“明日の今頃には あなたはどこにいるんだろう 誰を思ってるんだろう”
 
“立ち止まる時間が動き出そうとしてる 忘れたくないことばかり”
 
そして少しずつ、確かに、目に見える形で、物語は「明日」の気配を見せ始める。
 
 
SixTONESコーナー』
Jr.内ユニットをバックにつける以上は、おそらく絶対に中盤で作らなくてはいけない時間で。それを風磨くんがひとりで、ジャニーズの外側の楽曲を唄ったあとに持ってくるのも流れとして美しいなと思ったり。「明日」を迎えられない今日限りの時間を惜しむようにひとりステージに立つ風磨くんの先ほどまでの姿と対比するように、「明日」も現実を生きるこちら側の住人としてのSixTONESの存在設定をふと思い出せるように作られてるのかもしれないなと。いや、普通にストの時間だったたけなんだけれど。
私はストのオリジナル曲どれもけっこう好きです。IN THE STORMでも良かったな〜 あとこどもが最高に可愛い! ここのお衣装も好きだった〜!このコーナーのために裏で衣装チェンジするこどもたち尊い〜!!(いきなりアホみたいなことしか言わなくなるヲタク)
 
 
『rouge』
今回の私は、ことrougeに関してはマジで笑うことしか出来なかったので、他のもっと真面目なファンの皆さまの感想を探していただくほうが幸福だと思います。あの謎の装置何?
あと、初日は特に肩が出ていて風磨くんどちゃくそえっちだった。えっちです。最近のrougeは過剰にアクロバティックなえっちを求めすぎて迷走していないか? 初心にかえろう……
 
 
『…more』
“笑い合う度に思う「時よ止まれ」 不意に見せるその顔が時を止めた”
 
“もしも明日が来ないなら ゆっくり ゆっくりあなたと共にいたい”
 
やっぱり風磨くんのソロの中でも、この曲の歌詞が私はいっとう好きです。
このタイミングで風磨くんは「もしも」を語るけれど、それでも「明日」はやってくる。だんだん切なさと別れの気配が首をもたげてくる。こどもとお兄が出てきては踊って消えていって、何となく10年前と現在の時間軸が曖昧に溶け合っているような気持ちにもなって。
そして、ここで踊るこどもたちがいちいち大人っぽいんだ。もうめちゃくちゃに、君たちいつどこでそんな色気覚えてきたの!?ってくらいに綺麗で。7人とも表現力の鬼だった、この7人が選抜のステージを見られて本当に良かった……
 
この曲終わりで、こどもたちがドライブの計画についてわちゃわちゃ話し合う回想のシーンが入る。実は、ここが今回のストーリーで唯一のこどもを使った回想のシーン。やっぱり誰が誰役なのかは判然としない(ただしモノローグの内容と照らして、おそらくここでは織山くんが風磨くんの役割を担っていると思います)。単純に「7人でいると何でも楽しかった」という思い出が浮かび上がってくるようで、昨年とは明らかに「回想」の使い方も変えてきているのが興味深かった。全てを現在からの視点で語り、昨年は役柄が決まっていて台詞もあった回想シーンはサイレントで繰り広げられる。この辺りも、過去をあくまで「戻れないもの」として強調するようで、細かい演出こだわって考え抜いてる感じがした。
しかしまた余談ですが、10年後にこの子たちのうち何人がまだステージで踊っていて、今日を楽しかった思い出としてカウントしてくれるのだろうな……などとこどものリアル未来に思いを馳せてしまうあたり、私も老けたしこどもは我が子のように可愛いです。こどもの未来に幸あれ。
 
 
『Over flow』
ヒィーーーーーー計画実行かよーーーーーーー!!!!!!!
海でのひとコマが昨年以上にドラマティックに、というか壮大なストーリーの一部として、劇中劇として作用するの、流石にこれ考えた人あまりに天才すぎて嫉妬するからやめてくれ!!!???!? これ考えた人誰よ!??!??!? 風磨くんだーーーーーーーー!!!!!!!!
 
"風はそっと優しく伝わって 君が微笑むよ"
 
歌詞の中って、「風」が結構出てくることに気付いた。風磨くんは、生まれながらにしてそこかしこにいるんだな。もはやパパまろママまろのセンスが良いのかもしれない。菊池家ありがとう(????)
 
 
『My Lovin’ Season』
毎年この曲が来ると、ああ夏も終盤だな……という気持ちでいっぱいになるけれど、今年は映像も相俟って本当にもうすぐこの時間は終わってしまうんだな………………という切なさをけしかけてきた。三点リーダー何個あっても足らん。マイラビに曲が切り替わった瞬間から、映像がセピアになるだけでもう心が切なくなる。
 
"また来年集いたい なんて毎年ながらも切なく響く ただ今はこのまま暫く 儚く舞う花びらの如く…"
 
それと、ヒグラシの鳴き声。
 
"思い出にはしたくない My  Lovin' Season"
 
 
『It’s going down』
マイラビ終わりで完全に時間は黄昏、そっと消える映像と、ついに明言されるタイムリミット。でも「もう少しだけ時間をくれ、あいつらに伝えたいことがある」「それが何なのかは、まだ自分にも分からないけれど」言葉にならない風磨くんの想いが、ラストスパートに向けて走り出す曲。もう1度勢いをつけて、切れかかったエンジンを無理くり回して乱暴にアクセルを踏むような1曲だった。
 
“Time's up. It's going down! 夜が明けその夢醒めて一人の日々も”
 
"そこから本当のstart 合図は the melody"
 
そう、夢のような時間の終わりはすぐそこまで迫ってきている。だからこそ、この今を見届けなくてはいけない、という気持ちにさせてくれるフレーズになってる。見事かよ、いや天才にも程がある……
 
"夢にならぬよう 綴る melody"
 
夢のようであって、「今」は決して夢ではないから。風磨くんが音と言葉に乗せて、伝えたい「何か」を一緒に探そう。
 
 
『T.A.B.O.O.』
えーーーーーーここでこれ!?マ!?!?と思いつつ、空間のボルテージは既に最高潮! とにかくエネルギッシュで楽しい~~!!風磨くんは最高~~~!!! ……でも、今日の1日は本当に「あるべき」1日だったんだろうか?
 

"So それが Taboo"

 
 「1日だけ、後悔を払拭するために、戻ってこられる」そんな設定自体が実はとんでもない「禁忌」なんじゃないのか? とか考え始めてしまう時点でもう私の思考回路がおかしいのでここは楽しんだもん勝ち!!!! 
 
 
『リリック』
冒頭のバンドが復活、ここで再びバンド形式に。普通にTOKIO兄さんの歌っていうこともあるけれど、「バンド」という伝え方自体がもう「ひとりじゃ出来ないこと」の集大成だから、そんな形で風磨くんが何かを伝えようとしてくれることが嬉しい。きっと風磨くんはただ「バンドかっけー!」と思ってストちぁんズに楽器を持たせているわけが無くて、そこにはひとつの「共同作業」みたいな、「みんなで作るステージ」みたいなビジュアル面での説得力を期待しているんじゃないかと思っています。まぁそうするときょもジェシどうすんねんみたいなツッコミ入ると思うので、これはあくまで個人of個人の感想。
 
"言葉だけじゃ伝わんないから唄うよ"
 
という冒頭の一節に、風磨くんの風磨くんらしさと、今この曲を歌う理由の全てが詰まっている、と本当に思いました。
言葉だけじゃ伝わんないその想い、それでも伝えたいその想いを、風磨くんの姿と、声と、表情と、全部で受け止めたいよ。
 
 
『喜びの歌』
"生きてる ただそれだけで君と走って行こう 消えそうなKissで温めて 今日はここで眠る"
 
ここの歌詞に来た瞬間、あぁ~~~~風磨くんの今日が~~~~~~~終わってしまう~~~~~~~(;;)(;;)(;;)(;;)っていう謎のヤバいテンションになった。そう、風磨くんは「今日」を生きてるけれど、眠ってしまったらもうこの風磨くんは戻ってこない、それをあの空間にいる全員が知っていて、それで今、ラストスパートの今、そんなこと言ってくれるの~~~(;;)(;;)(;;)(;;)(;;)
 
"本当の声 目に見えない美しさを抱いて 泣きそうなときは思い出して ちゃんと俺がいるから"
 
あぁ~~~~~~やっぱりいなくなっちゃうじゃん風磨くん~~~~~~~(;;)(;;)(;;)(;;)(;;)
目に見えなくても、風磨くんは、ずっとそこにいて、絶対に消えたりなんかしない。そういう確信(という名の幻想)を今、風磨くんがくれました。
 
"ずっとそばにいるから”
 
うわぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
『20 -Tw/Nty-』
ここでバンドは終わり、必死に熱くなって一緒に遊んでいたお兄たちはみんなステージからいなくなってしまって、代わりにまたこどもたちが風磨くんの後ろで踊る。しんと静まり返った、風磨くんの、こどもと、大人の、あいだの時間。
いや~~ここのこどもたち本当に大人っぽくて素敵だった。1日の始まりは「大人ぶるポーズ」を意識的に出したおふざけ大人だったこどもたちが、中盤はグアムの空港みたいな夏っぽいお衣装だったりカラフルお衣装だったこどもたちが、『…more』と『20 -Tw/nTy-』ではモノクロのベストやスーツに身を包む様よ。やっぱり今回のステージにおけるこどもたちは、全員が風磨くんの内側にある「過去」であり「幼さ」であり、なおかつ風磨くんの外側にある「未来あるもの」であって「これからの大人」のように感じて。
今までとこれから、という大きなテーマで風磨くんが節目に作った曲を、まだ20歳を迎えていないこどもたちに囲まれて歌い上げる様は、またこれまでのこの曲の魅せ方とは少し違った趣きで、美しく儚かった。
 
 
『素晴らしき世界』
20終わり、こどもたちがスッと風磨くんがひとりで客席に向かって最後の挨拶。ゆったりと訪れる、限りある、共にいられる時間の終わり。
「後悔、してない?」って何回も客に確認してくる風磨くんが本当に印象的で。風磨くん自身は「自分はあんまり後悔はしないタイプ」って言うけれど、やっぱり自分の内側にあるものが表現として滲み出て来る以上、風磨くんの内側にはとてつもなく大きな「後悔」が、何かあるんじゃないだろうかと私なぞは邪推してしまう。
風磨くんが、この夏を、後悔無く過ごせたと思えていますように。
 
“友を信じる優しい声が 遠く遠く君の元に届きますよう”
 
これは、風磨くんの側にいる全ての仲間たちに向けた餞の言葉。
 
“いつの日か僕のそばに君がいる そんな時を待ちわびて目を閉じる 明日に祝福を!”
 
これは、この物語を終わらせるために「目を閉じる」風磨くん自身のメタファー。
 
“僕らは泣いて笑って それでも明日を夢見てしまう これからが素晴らしき世界”
 
これは、風磨くんと共に「今日」を過ごした全ての人の、それぞれの「明日」を願う言葉。
風磨くんを含めて、あの場所にいた全員の。
 
これからが、素晴らしき世界。
 
 
最後の最後に「今日の記憶を消してほしい」なんて、風磨くんは言うけれど、忘れられるわけがない。
こんなに美しく、楽しくて、終わって欲しくないと願い続けた、それでも終わってしまった、短いこのひとときのことを。
 
 
《風 is I ?》
(風磨くんは、どこにいても、何をしていても、絶対に風磨くんだよ!)
 
 
 
 
 
 
アンコール『Party up!』
からの~~~~~~風磨コールで風磨くん還ってきちゃう~~~~~~!!!!!!! やっぱりもう少しみんなで遊びた~~~い!!!!!!!(実際の私はこのようなテンションを会場で出しませんので悪しからず)
(それでも、今年の勝利ソロを経験して「アンコールはやらない」という選択肢が実在することを知ってしまったので、ここでちゃんと還ってきてくれる風磨くんは遊びたがりで間違いないことが分かりました!)(そして、もしも風磨くんがアンコールを無しにするとしたら、それはどんな時なんだろうとも思いました。それは風磨くんにしか分からないことだね。)
 
そういえば、一昨年の最初のソロライブはこの曲から始まったよね……待ってたよパリラッ!!! あの頃を懐かしみつつ、あの頃とは何もかもが違って、でも変わらなくて、初心忘るべからず。始まりの終わり、終わりの始まり、そしてここからまた新たに風磨くんのストーリーがきっと続いていく、と予感させるような。
そんで途中からこどもたちがドカドカやって来てお兄を押し退ける! 前列でガッシガシ踊る!! 最高にかっこいいこどもたち!! こどもの時代が来るぞ〜!!
アンコールのこどもたち、お衣装も黒レザーに黒パンツで大人っぽくキメてて、色違いのバンダナがヤンチャで可愛くて、本当にこどもにしか出せないズルっちい魅力が詰まりすぎてて泣いた…… それでクールかつシャカリキにParty up!踊ってくれるんだからもうこどもの圧倒的成長に全保護者が泣いた……風磨くんありがとう、この曲でこどもをメインで踊らせてくれたのほんと天才……(帝劇でもこれやったんですってね、見たかった)
 
 
『HEY WHAT’S UP』
『oh! yeah』
……最後の最後でこどもに夢中すぎて何も言えることがありません!!!!(詰めの甘すぎるヲタク)(だからダメなんだよな)
oh! yeahはこの3年で完全に夏の風磨くんの代名詞になったね、今年もちゃんとセレクトしてくれて大変嬉しかったです。風磨くんは裏切らない。しかし今年はタオル回さなかったね!
 
”ダサくてもいいから思い出全部笑顔で埋めて”
 
”後悔しないでいこう 恥捨ててこう”
 
”夢のような今を”
 
 
 
 
《8/8夜 Wアンコール 『My Life』》
毎年恒例の、ダブルアンコでSexy Zoneに戻る設定の風磨くんが!!ない!!!!とだいぶ衝撃を受けた。これは。どうしたことか。
2015年も、2016年も、風磨くんは「Sexy Zoneという立場から離れて」ソロライブをやっているんだな、そして最後の最後でSexy Zoneの曲を全セトリ合わせて初めて使って、そしてまたSexy Zoneの風磨くんへと戻っていくんだな、と感じてた。そして、今年もきっとその流れを作ってくれると期待してたところがありました。
でも、今年の設定を思い返してみると、そもそも風磨くんの初期状態は「死」。すなわち、この空間自体が非日常であると同時に、非現実で。こう言うと無遠慮で誤解を招きそうな言い方になってしまうけれど、「死んでいる=Sexy Zoneでいる」状態が彼のノーマルなわけであって、物語の幕引きの時点で自然とノーマルな状態が復活しているので、今年は「あえてSexy Zoneに戻るタイミング」など不必要だったんじゃないだろうかと思ったり。逆に言えば、「1度死んで蘇る」くらいの気持ちを持たないと、彼がSexy Zoneから離れること自体が成立しなくなってしまっているようでもあり。なんというか、この公演全体が持つ「今までとは圧倒的に何かが異なっている感じ」が1番如実にあらわれたのが、このダブルアンコールだったように私は感じた。彼とSexy Zoneの関係が、彼とJr.の仲間たちとの関係が、それらへの認識と価値観が、確かに今までとまた少し変化した。そう、とにかくSexy Zoneなんだよね、風磨くんは。
 
Sexy Zoneとして過ごしてきたこれまでと、Sexy Zoneとして過ごしていくだろうこれから。その先の「未来」を信じつつ、もう少しだけ、あと少しだけこの非現実に留まるための、切なく煌めいた1曲でした……
とか言いますけれど、中の人はこどもたちがダブルアンコに、『My Life』に出てきてくれたことに感激していて99%はそっちのこと考えてた。ここでの発言は全てその場の瞬間的な直感と結果論です。
 
 
私たち客が風磨くんたちと過ごせる時間と、風磨くんがソロで自分の世界の中で過ごせる時間と、さらには昔からの仲間、普段は違うステージで頑張っている仲間と過ごせる時間、様々な思いを孕んでいる同一の「ひととき」を、はじめから期限付きで提示することによって、それが有限であり、繰り返せないやり直せないものであることを明らかにしていて、風磨くんはステージを通して私たちに語りかける能力がズバ抜けて凄まじい凄まじすぎて鳥肌レベル。
風磨くんが私たちに見せたいものと、私たちの見たいものが、奇跡みたいに重なり合って、それは絶対に風磨くんにしか見せられない景色で。改めて、一生をかけてこの人に付いていきたい、この人の見せてくれる景色を一生信じていきたい、と心に決め直しました。これからもずっと、風磨くんの「客」でいさせてください。ずっとステージに立ち続けてください。
 
最高に好き。好き!

*1:これ更新しようと思ってン年ぶりにはてブ開いたら、風 is a doll ? の感想書きかけの下書き残っててわろた。3年目の正直。

*2:私の推しは、元木湧くんです。ゆうくんじゃなくて、わくくんです。

ジャニーズ楽曲大賞2015覚え書き

 

ただ貼付けただけですが、備忘録として。

別にコメントの匿名性とか、いいから。

 

お名前 有為転変
楽曲部門1位 「カラフル Eyes」 Sexy Zone
コメント 不本意ながら、やはり5人ジャケット5人MVでのシングル発売は今年一番の喜びでした。こんなことでお祭り騒ぎするのは…本当に不本意なんですが…ッ!Sexy Zone5人の2016年に乞うご期待!!
楽曲部門2位 「20 -Tw/Nty-」 Sexy Zone
コメント 風磨くんのことを、一生手放したくないなと改めて思えた曲。これまでの風磨くんも、20歳の風磨くんも、そしてこれからの風磨くんも、ずっと好きでいられる筈です。
楽曲部門3位 「Wait for You」 V6
コメント 何故か母がいたく気に入っていて、2015年の我が家でのリピートランキングはおそらく1位でした。20周年、おめでとうございました!
楽曲部門4位 「Hello」 Sexy Zone
コメント 風磨くんこんな爽やかな曲歌えるのー♡♡♡とデレデレになれる最新ソロ曲。最近はこれしか聴いていないと言っても過言ではありません。私の脳内では、永遠に風磨くんがHello, Everyone!してくれています。好き。
楽曲部門5位 「My Lovin\' Season」 Sexy Zone
コメント ソロライブの最後に歌う、夏の思い出が眩しすぎて。大切な、素敵な光景と共にこの曲がずっとあります。アルバムに残らないから素敵だけれど、音源に残してくれて本当にありがとう。
MV部門 「Sakura」 嵐
コメント MVそのものも美しくて好きですが、久々にメイキング映像が収録されたことが印象的でした。そんなメイキングのコンセプトは謎すぎて、「久々」という不慣れさ以上の違和感にどぎまぎしながら楽しみました。あれは何だったんだろう。
未音源化部門 「ダンケシェーン」 マリウス葉
コメント 残念ながら舞台そのものは観劇する機会を得られなかったのですが、少クラでの舞台レポートで放送された一瞬だけでも舞台上でのマリウスの可愛さが溢れ出ていました。まさにマリウスのための曲! 少クラで歌ってくれましたが、今後コンサートでも是非披露してほしいです。
現場部門 Summer Paradise in TDC<風 is a Doll?>
コメント 私の中で満場一致の大歓喜現場でした!おめでとう! 本当に本当に、今の風磨くんに出来ること、今の風磨くんにしか出来ないことの沢山込められた、他の誰でもない風磨くんのステージでした。風磨くんを応援してきた身として、これ以上の喜びはありませんでした。私が風磨くんのことが好きな理由が、みんなが風磨くんのことが好きな理由が、あの夏には確かに見えました。全世界に菊池風磨というアーティストを、この最高のアイドルを自慢してまわりたい!大好きだ!!
コンビ部門 菊池風磨中島健人
コメント 2015年もなんだかんだ、ふまけんフルスロットルでした。2016年こそ2人でドラマを。しつこくダブル主演を夢見続けます。
自担部門 菊池風磨

 

あり得ないくらいの怒濤の「風磨」連呼。私はこんなにも菊池担だったのか、と驚愕するばかりの2015年でした、お疲れさまでした!ふーちゃん好き!!

あと、n周年の響きはやはり良いものですね。

セクゾンちゃんも、アニバーサリーイヤーはすんばらしく素敵な曲作ってもらって年末の歌番組でいっぱい披露しような!

0428『カラフト伯父さん』

『カラフト伯父さん』@グローブ座 / 0428

 
ご縁があって、伊野尾慧くんの初主演舞台を観劇させていただきました。初めてのグローブ座、まずは純粋に楽しかったです。生の芝居を久々に観て、思うところもいくつかあったので、忘れてしまわぬうちにつらつらと書き留めておこうと思います。ちなみに、私は伊野尾担ではありません。なんならJUMP担でもありません。ということで、以下の内容はバリバリにネタバレを含む個人的感想です。
 
 
 
 
 
 
 
座席はB席の最上手だったので、残念ながら舞台上手の1/3程度が死角になってしまったところに少しの悔いは残りますが、それでも久々に観劇した作品がこれで良かった、と思える2時間でした。(私の我が儘を快く聞き入れて観劇の機会を与えてくれたチケット主の友人には感謝しかない!ありがとう!)
 
まず明るい場内にコテコテ関西ノリのラジオ番組がいつの間にか流れ始め、舞台奥の扉を開けて軽トラ(なのか?あれは)がゆっくり入ってきた、と思ったら伊野尾さん扮する徹くんが運転席から登場してくるシーンにはのっけから痺れました。だって、すぐそこの、舞台上で、伊野尾さんが、運転、してる!! みたいな。興奮しかないですよね、ええ。しかも3階席から見下ろすと、完全に伊野尾さんのアラウンドビューモニター状態な訳ですよ。神の視点を手に入れることが出来る。これはあくまで想像ですが、3階A列上手寄りは比較的良好な視界でマニアックな興奮を得られるお席です。
 
伊野尾さん可愛らしかったポイントとしては、松永玲子さん扮する元ストリッパー・仁義のジンにウツクしいと書いて仁美さんが時折打っ放す完全下ネタ攻撃に対する、思春期〜青年期の男の子特有の、でも純で愛らしいリアクションが本当に可愛らしくて嫌味っぽくなくて可愛らしくて可愛らしくて、伊野尾さんにこのリアクションをさせる演出は天才だと思いました。ただ、徹くんってすごくすごく悟郎さんのことを突き放す癖に、仁美さんに対してはわりと直ぐに打ち解けますよね。普通の流れで考えると、大嫌いな父親が突然連れてきたケバくて図々しい妊婦なんて口きいてもらえなさそうなのに。仁美さんという人間そのものには悪意も悪気も関係もないのだ、と早々に割り切ったのでしょうか。それとも、悟郎さんのことも本当は受け入れたいのだという気持ちの表れなのでしょうか。実の父親である悟郎さんもコミカルな動きをすることの多い人なので、仁美さんと冗談を交わして笑っている徹くんが彼の本来の姿なのでしょうね。可愛い。とにかくこの2人の絡みはあれもそれもどれもこれも可愛くて、伊野尾さんの伊野尾さんらしさを魅せてくれてありがとうございます! ファンはこういうの、好きだよ!!
 
そんな仁美さんとのシーンとは対照的に、父親である悟郎さんとの掛け合いは、クスッと笑える小ネタを挿みつつも終始ある種の緊張感と反発感に満ちていました。痛々しいくらいに受け入れてもらえない悟郎さんをみていると、何だか私まで徹くんに怒りそうでした。そういえば、徹くんが車内で寝ているときに悟郎さんが絡みにいくシーンでは、終演後友人に「徹くんは赤い面を表にして毛布を被っていたけれど、それをお父さんが使ったときには白い面を表にしていた」と指摘されました。私が観たときにはそこまで気がつかなかったのですが、そういう細かいところも親子の間にシンクロできないギクシャクしたものがあるという隠喩として働かせているんでしょうね。こういう演出に目ざとく気付ける観察眼を鍛えていきたいものです。ちなみに友人は「毛布にくるまる伊野尾くんめちゃめちゃ可愛かった〜♡」とも言っていました。この場を借りて改めて、激しく同意しておきます。イノオサン・トテモ・カワイイ。
 
そこから平行線を辿っていた徹くんと悟郎さんの心がぶつかるシーンである、トラックの荷台での親子のクライマックスは、上から観ると本当に綺麗でした。徹くんが悟郎さんに掴み掛かってから2人で荷台の上に並んでうずくまるのですが、その姿勢が同じなんです。今まで何をやっても噛み合なかった彼等の心が通いつつあるということがビジュアルにあらわれていました。あ、同じ方向を向いた、みたいな。
泣ける泣けると前評判で聞いてはいたのですが、クライマックスで悟郎さんを演じる升毅さんが徹くんの「それから!」に促されるまま吐き出していく言葉はひとつひとつとても痛切で、その力強さと歯痒さのような感覚にいつの間にか涙している自分がいました。
そこからが徹くん、もとい伊野尾さんの最も重要な長台詞だったのですが、残念ながらここは私には一歩足りませんでした。 会場からはすすり泣きが絶えず聴こえてきたけれど、升さんの語っている間は自然と溢れてきていた涙が不思議とすっと止まり、冷静な自分がそこにいるような感覚を覚えて、我ながら白状な感情だと思いました。徹くんの独白と切実な願いを聞きながら「あぁ、これがキャリアある本物の役者と、舞台初主演を射止めたアイドルとの差なのか」などと思っていたのが事実です。これは何も悪い意味ではなく、伊野尾さんの表現は間違いなく現在の彼にとっては最高の出来に近いと評価してのこと。私にとってこの感覚は「演じる力」が確かに存在するのだという実感だったように思います。升さんの演技力、表現力、説得力は本当にとても素晴らしいものでした。彼は「舞台の上に立つ役者としての自分」の出し方に長けている。今回こんなに力のある俳優さんと伊野尾さんが共に舞台に立てたということが、とても嬉しく、そして有り難いことです。
あえて具体的な技術的な部分も指摘しておくと、たぶん発声と言い回しにやはり違いがあらわれてくるのだと思います。伊野尾さんに比べてサイドのおふたりの声は鋭くて劇場中に見事に通るし、メッセージの向かう先が明確な気がします。伊野尾さんはとても難しい役回りを精一杯演じていて素敵だったけれど、怒りを露にすることの多い徹くんを制御しきれない部分も確かにあったと思うのです。同じように、クライマックスも自分でコントロールしているというよりは、坂道を好き勝手に転がってしまっている徹くんの暴れ馬みたいな感情と言葉に必死でしがみついているような叫び方に近いのかなぁ、と。それで結果としてすごく制御されてしまっていたようにも感じるし、何なんだろう、「伊野尾さんが演技している」のではなく「徹くんが演技している」ようなややこしい印象がありました。(あくまで舞台や芝居には関わったことのない素人の感想なので、然るべき人がみた方がよほど的確だとは分かっています。何言ってんだこいつみたいな部分があれば、笑ってスルーきめてやってください。)
事実、徹くんが渾身の告白と叫びを終えて、それに対して悟郎さんが言葉を返した瞬間に、直前まで冷静に徹くんの言葉を受け止めていたのにまた一瞬にして涙が止まらなくなりました。升さんが台詞を発した瞬間くらいにもうダメだった、完全に涙腺に訴えかけてくるものがあった。私の完敗でした。そこの違いは、今はまだ埋められなくて当然だと思います。でも、本人がそうなりたいと想うなら、伊野尾さんの言葉と仕草と空気感にも、いつか説得力が身に付くようになるような経験をこれからも多く積めるといいな、と願っています。伊野尾さんはとても勘が鋭くて器用で、自分の役割を適切に把握出来る人だと思うから。その器用さがまだ少し邪魔をしてしまっている、そんなもどかしさの詰まった演技をみせてもらったように感じました。そして升さんは凄かった。舞台上で芝居をやる人の存在感は、本当に凄い。家に帰ってからも母親に「とりあえず升さんって凄いわ」と伝えるほど、想像以上の感動がありました。
また、設定上も演出上も不可欠な要素ではあるけれど、徹くんが関西弁話者だというのが徹くんという役の難しさを上げているんだろうな、とも。これが普通に標準語の役だったらまた少し喋りの入れ方が違っていたのかしら。でもこの言葉の違いは、関西に生きてきた徹くんと、東京に生きてきた悟郎さんの間に流れるみえない壁をきっと表現しているのだなぁ。実際に、ラストシーンでは悟郎さんは「ほな行こかー!」と関西弁でシーンを締め括っていたと記憶しています。素敵なカラフト伯父さんでした。素敵な升さんでした。
 
それにしても、伊野尾さんの台詞の間中会場のそこかしこからすすり泣きが聴こえるという状況自体が、舞台観劇に慣れていない私にとっては非常に新鮮なものでした。皆がその場に居合わせて、今まさに紡ぎ出されているひとつの物語を目撃している。この「ライブ感」みたいな空気がとにかく堪らなかった。だって、そこにいる演者にも私たちのリアクションが伝わっているんでしょう!? すごくないですか!? こう、双方向感というか、舞台上での芝居というのは受け手に対して最高に訴えかけてくる表現なのだと再確認しましたね。
 
ここまで書いて気付いたのですが、3階後列という条件で観劇した私の感想は圧倒的に演者の「声・音・台詞」という聴覚に基づいたものになっています。この作品を観た多くの方が「伊野尾くんのあんな表情は初めてみた」という感想を抱くようですが、そういえば私は視力の悪さも禍いして殆ど表情の演技はみることが出来ませんでした。でも皆が口を揃えてそう言うのですから、きっと今までのアイドル・伊野尾慧の中からは引き出されることのなかった良い表情をしていたのだろうと思います。今回の舞台は、伊野尾さんの飛躍の大きな第一歩になっていると思います、確実に。まだまだ幕も開けたばかりの作品ですので、出演者3人で千秋楽までこの作品をより良いものに育てていってください。
 
最後のカテコ挨拶ではいつもの伊野尾さん(でありながら堂々とした座長としての伊野尾さん)がそこにいて、2時間徹くんとしてそこにいた青年が、確かに私たちの知っているHey!Say!JUMPの伊野尾さんだったのだという事実を再認識したら何だか泣けました。一応デビューからずっと見守ってきたグループの適当ポジションの子が、こんなに素敵な3人芝居で初めての経験をさせてもらっている。ありがとう、伊野尾さん!ありがとう、世界!! あと、最後のはけるところが見切れて全く見えなかったのはとても悲しかった。笑
 
 
そして長くなりましたが、最後に内容の話。
 
実際にこの目で観るまでは事前知識はあまり入れないようにしておこう、と警戒しながら過ごしていたので、公式のあらすじさえ先ほど初めて読みました。検索かけて知ったのですが、この脚本は2005年に岡田義徳さん主演で初演されていたものなんですね。なるほど、だから“10年前”だったのか。この情報は知っておいた方が、年齢の計算でこんがらがることなく観られたかもしれません。まぁ、2015年に上演するからといってこれを”20年前”に変更したら、徹くんがもう完全なるオッサンになってしまうし、悟郎さんの人生もやり直しのききにくい年齢になってしまいますわ(笑)
 
あと、Twitterで『銀河鉄道の夜』と『永訣の朝』を読んでいるといいかも、とおっしゃっていた方がいたのでそこは少し意識してみたのですが、どちらにせよ少し齧った程度では明快には分かりづらいネタなのかな……という印象でした。ごめん、長くて『銀河鉄道の夜』は読めなかった。悟郎さんの中にも徹くんの中にも、そしてお母さんの中にも、宮沢賢治という作家と作品の精神が意識されているのだろうなというぐらいのことしか分かりませんでした。この物語の中に”宮沢賢治”というキーワードが何故必要だったのか、という疑問がぐるぐるしています。分からない。分からない……。伏線として使うでもないようで、スパイスとして効かせるでもないようで、突然「カムパネルラー!」とか叫ばれてビビっちゃう観客の方が多いのではないのでしょうか? こう感じているのは私だけ? 個人的に宮沢賢治という作家のファンタジー性が好きなので、何なんだよこの脚本!!なんか色々説明不足だし構成が美しくないし意味わかんねぇよ!!!くらいの気持ちで観ていました。実は何が言いたいのかもわからなかったし、堂々廻りの噛み合なさや歯痒さが力技で押し切られていたようにも思えて、私には受け止めきれないメッセージでした。ネットの世界だから言いたいこと言ったぞ。
 
作品の解釈や感じ方は人それぞれなので、これから観劇する方の感想や見方を沢山知りたいですね。私はとりあえずバーッと書きなぐったので満足です。絶対にもっと書きたかったことを後で思い出すけれど、もう知らない。面倒だからこれ以上は書かない!
皆さんも積極的に長々と書いてください。舞台の感想というのは、長々と書いて他人の目が届く範囲に放り投げておく価値があるものです。私はそれを読みたいです。
 
 
それにしても、5100文字超えとかウケる。大学の課題かよって勢いで書いてしまった……